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東京地方裁判所 昭和33年(ヨ)5305号 判決

判  決

東京都練馬区関町四丁目六〇八番地

申請人

田岡由良

右訴訟代理人弁護士

佐伯静治

彦坂敏尚

藤本正

高橋銀治

東京都練馬区関町四丁目甲七二三番地

被申請人

医療法人(社団)慈雲堂病院

右代表者理事

田辺子男

右訴訟代理人弁護士

沢田喜道

藤井英男

右当事者間の昭和三三年(ヨ)第五三〇五号地位保全仮処分申請事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

申請人の本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

申請人訴訟代理人は「申請人が被申請人に対して雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を、被申請人訴訟代理人は主文同旨の裁判を求めた。

第二  申請の理由<以下省略>

理由

一  申請人が準看護婦の資格を有する者で、昭和三三年三月三日被告申請人と締結した雇傭契約に基き、被申請人の開設する病院で勤務していたところ、同年九月一日被申請人から解雇の意思表示を受けたこと、そしてその理由が、右雇傭契約において、申請人は雇傭後六ケ月間見習の業務に従事するが、その期間中に被申請人によりその従業員として不適当であると認められた場合には無条件で解雇されるということが約定されていたところに基くものであるというにあつたことは、当事者間に争いがない。

二  そこで右解雇の意思表示の効力について検討することにする。

(一)  申請人が被申請人と雇傭契約を締結するにあたり、見習期間が六ケ月であつたかどうかの点を除き被申請人の主張するとおりの誓約文を記載した文書に続く紙葉に署名捺印したことは、当事者間に争いがないところ、右誓約文中の誓約事項において見習期間が何ケ月と記載されていたかにつき、申請人は三ケ月、被申請人は六ケ月であつたと主張するので、この点について調べてみる。

乙第一号証の一ないし四を検するに、乙第一条証の三及び四は、乙第一号証の一(表々紙)と乙第一号証の二(裏表紙)の間に綴込まれている書類の一部であるが、そのうち乙第一号証の三は、中央部の下方に「慈雲堂病院」と印刷された赤罫紙の表半分に、「医療法人社団慈雲堂病院」なる表示に次いで、この判決の事実摘示欄中第三の二の(イ)における被申請人の主張のとおりの文言が青インクで加除等、一つの訂正もなく記載されているもの(従つてここで問題にしている見習期間は「六ケ月」と表示され、その部分の記載に後で手が加えられた節は全然みられない。)であり、乙第一号証の四は、右に続いて綴られた同一の用紙六枚に記入されたもので、いずれも鉛筆で引いた三本の横線によつて四つの欄に分かれ、第一枚目の最初の行には、乙第一号証の三におけるものと同一とみられる筆蹟により上欄から順次に「署名年月日」、「職名」、「氏名」及び「印」と青インクで書かれ、以下第六枚目の裏四行目まで、「署名年月日」及び「職名」の各欄の書込み並びに「印」欄の捺印にそれぞれ若干の洩れがあるほか、一行の空白もなく、所定の記入、署名及び捺印がなされており、「署名年月日」欄の日付は下記括弧内の例外を除き順を追つて記載されている(但し、第三枚目表の四行目と五行目、第五枚目表の一行目と二行目及四行目と八行目、第五枚目表の十一行目及び十二行目のいずれかと第六枚目表の二行目の間において、それぞれ日付が逆順になつている。)し、第一枚目の表と乙第一号証の三の裏との間には「慈雲堂病院」と印刷した角形印で契印がなされているが、乙第一号証の四の各葉の間には契印がないこと及び乙第一号証の四中申請人によつて真正になされたものであることについて争いのない申請人名義の署名捺印は、その第五枚目の表六行目に存することが認められる。

さて(疎明)を綜合すると、左のような事実が認められる。即ち、乙第一号証の三は、被申請人が昭和三〇年一〇月頃それまで個人経営であつた慈雲堂病院において医業を始めるについて新規に従業員を雇傭するにあたり、その記載内容を承諾の上これに続く紙葉に署名捺印させる目的で、当時被申請人の経営となつた右病院の事務長であつた染谷七郎において被申請人の理事の田辺子男及び柴田桓要と協議してきめたところに基いて作成し、これに続く署名捺印用の紙葉とともに乙第一号証の一、二の中に綴込んだものであつて、その後被申請人によつて新規に雇傭された者において署名捺印又は署名した六枚の紙葉が乙第一号証の四にあたり、その第一枚目(表と乙第一号証の三の裏との間に現にみられる上述の契印は、作成の当初になされたものである。そして申請人が乙第一号証の四中に署名捺印をしたとき、申請人は、当時病気のため引籠り中であつた染谷七郎の事務を代行していた前記病院の事務次長坂西義祐より乙第一号証の三を呈示されてその内容を閲読し、これを了承したものであることが認められる(中略)。なお、同上本人尋問の結果中には、申請人が乙第一号証の四中に署名捺印する際に示された書面に記載されていた文章中の誓約事項のうち終りから三番目位にあつた一項に何か労働組合に関する事柄が書かれていたように思われたが、その項が朱抹されていた旨の供述があるけれども、成立に争いのない乙第九号証及び証人坂西義祐の証言(昭和三五年一〇月三一日の口頭弁論期日におけるもの)によると、申請人は、被申請人に雇傭されるにあたり、前述のような乙第一号証の四への署名捺印のほかに、被申請人から交付された「保証書」と題する用紙(乙第九号証と同様のもの)に保証人と共に署名捺印の上提出するよう要求された(申請人は結局右書面を差入れるに至らなかつた。)ことがあつたのであるが、その中に記載されていた四項目に亘る誓約事項の第三項に「苟モ世論ニ惑ヒ或ハ労働組合又ハ之ニ類スル組合等ニ加入又ハ加盟スル等ノ行為ハ一切致間敷候事」とある部分が抹消されていたことが認められることからみると、甲申請人本人の前掲供述においては、申請人が乙第一号証の四中に署名捺印をするにあたつて呈示された誓約事項を記載した書面と右保証書とが混同されているのではないかと思われるし、その点はともあれ、申請人が上述のとおり被申請人から差入れることを要求された保証書中にも申請人の見習期間に関する何らの記載もなされていないことが前出乙第九号証によつて明らかである。他に申請人と被申請人との間の雇傭契約において約定された申請人の見習の期間が三ケ月であつたという申請人の主張を認めて前記認定を動かすに足りる疎明は発見できないのである。

叙上のとおりであるから、昭和三三年三月三日申請人と被申請人との間に成立した雇傭契約において、申請人は雇傭後六ケ月間見習の業務に服するが、その間に被申請人によりその従業員として不適当であると認められた場合には無条件で解雇されても異議ない旨が約定されたものと解すべきである。してみると右認定に反して、申請人の見習期間が三ケ月と定められていたことを前提として、被申請人が昭和三三年九月一日申請人に対してした解雇の意思表示を無効であるという申請人の主張は理由がない。

(二)  そこで次に、申請人の見習期間を六ケ月と合意した、前記雇傭契約における約定が、就業規則に牴触するかどうかについて考えてみる。

(1)  申請人が被申請人の作成にかかるものであると主張する就業規則がもと個人経営であつた慈雲堂病院における労働関係を規律するためのものとして制定、施行されていたものであり、その中に申請人の主張するような「看護婦、看護人の未経験者は、有資格三ケ月(中略)間の講習又は見習期間を経なければならない。」 との第七条の規定があることは、当事者間に争いがない。ところで被申請人が、申請人の主張するように、個人経営にかかる慈雲堂病院の業務を承継したことを認め得る疎明はないのみならず、個人経営時代における前記病院の従業員に対する処置としては、(疎明)によると、昭和三〇年一〇月中に退職金を支給して全員を一旦退職させた上で改めて被申請人においてこれを雇入れたものであることが認められる。してみると、法理上被申請人が個人経営の慈雲堂病院の業務を従前の労働関係をも含めて承継したものと解すべき根拠は見出されないけれども、社会的ないし経済的に観察する限り、被申請人による病院経営とそれまで個人によつてなされて来た慈雲堂病院の経営との間には、事実上の継続があつたものと認めるのが相当である。このような情況にかんがみるときは、慈雲堂病院が個人によつて経営されていた当時に、その経営者の作成した就業規則がそのまま被申請人の作成にかかる就業規則として、その従業員との間の労働関係について適用されることになつたことも事情によつては考えられないわけではない。

さて、(疎明)を綜合すると、被申請人の従業員の一部により医療法人慈雲堂病院労働組合(以下「組合」という。)が結成された直後の昭和三三年一月二八日頃、当時組合の執行委員であつた斎藤忠司外一名がその頃慈雲堂病院(被申請人の開設にかかるもの)の事務長をしていた染谷七郎に被申請人の就業規則を印刷したものをもらいたいと申入れたところ、一部しか手持ちがないから用ずみの上はすぐに返還するようにといつて乙第五号証の一とこれと一体をなす乙第五号証の二とを貸してくれたので、組合の執行部で、組合員に配布する目的も兼ねてこれを複写し、これに表紙の部分を付けたものの一冊が甲第一号証であることが認められるところ、乙第五号証の一、二が個人経営当時の慈雲堂病院の労働関係に関する就業規則及びこれと一体をなすべき給与に関する内規と称せられるものとして作成施行されていたものであることについては、本件当事者の主張が合致している。更に、(ロ)(疎明)を綜合すれば、昭和三三年二、三月頃被申請人がその従業員で組合に加入していた浦野賢二を懲戒解雇したことをめぐる被申請人と組合との紛争について、東京都地方労働委員会の斡旋に基き同年四月二一日両者間に協定が結ばれたことがあるが、その条項中に、浦野賢二に関する懲戒問題については就業規則第四四条により制裁委員会を設けて審議し、その決定に対しては被申請人も組合も共に服すること、及び就業規則の完全実施その他の懸案事項については右両者が誠意をもつてその解決に努力する旨の定めがあつたところ、右条項にいわゆる就業規則とは慈雲堂病院が個人経営であつた当時から施行されていたものを指していたことが認められる。これらの事実からみれば、被申請人は、慈雲堂病院の個人経営時代に施行されていた、前掲乙第五号証の一、二に記載されているような内容の就業規則をそのまま自らの就業規則として採択してこれを施行して来たものと認めるべきである。(中略)

ところで労働基準法の規定するところによれば、使用者は、就業規則の作成について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならず、その作成した就業規則を行政官庁に届出るべく、この場合には、上述のような労働組合又は労働者を代表する者の意見を記した書面を添附すべきものとされていると共に、その就業規則を常時各作業場の見易い場所に掲示し又は備付ける等の方法によつて、労働者に周知させる義務を課せられ、右に挙げたような意見の聴取、届出又は周知に関する各義務に違反したときは処罰されることになつている(同法第九〇条、第八九条、第一〇六条及び第一二〇条)。しかるに被申請人が右に説明したような就業規則の作成及び実施に関する各般の手続を行なつたことについては、申請人より何ら主張立証されるところがなく、かえつて証人染谷七郎及び同柴田桓要の各証有からすると、被申請人による右のような手続履践の事実はなかつたことが知り得られるのである。しかしながら就業規則の作成及び施行について使用者が前叙のような手続を経ることを怠つた場合においても、当該就業規則の効力はそのために左右されるものではなく、ただ単に罰則の適用問題が生ずるに過ぎないものと解すべきである。

以上を要するに申請人と被申請人との間に雇傭契約が締結された当時には、被申請人により既にその就業規則が制定され、その中に申請人の指摘するような既述のとおりの内容の第七条の規定が置かれていたものといわなければならない。

(2)  そこで進んで、前出(一)において判示した、申請人の見習期間を六ケ月と定めた雇傭契約上の合意が被申請人の就業規則中の第七条の規定に牴触するものであるか否かを考察する。被申請人の就業規則中第七条の規定の内容が「看護婦、看護人の未経験者は、有資格三ケ月(中略)間の講習又は見習期間を経なければならない。」 というにあることは、先述したごとく当事者間に争いのないところであるが、前掲乙第五号証の一、二によつて被申請人の就業規則を通読してみるに、講習又は見習期間中であると否とによつて看護婦、看護人の賃金、労働時間その他の労働条件に差異を設けたものと解される規定を発見することができないことからすると、右第七条の規定は看護婦及び看護人の未経験者についての労働条件に関する基準を定めたものということはできない。もつとも、右乙第五号証の一、二によると、被申請人の就業規則中第一九条において、初給賃金、昇給率、退職金率その他給与に関する規定は別に定められることになつており、これに基いて定められた内規と称するものの中では、初任賃金を有資格看護員については住込賄付月収約金四、〇〇〇円、見習看護員については同じく約金二、五〇〇円とする旨の定めがなされているが、前記就業規則第七条の規定により明らかなとおり未経験の看護員は有資格者であつても一定の期間にわたり講習又は見習をしなければならないこととも合わせ考えると、右内規にいわゆる「見習看護員」はその資格の有無を問わず見習期間中のすべての看護員を意味するものではないと解するのが相当である。

してみると、申請人と被申請人との間の前記雇傭契約上の約定が被申請人の就業規則第七条の規定する労働条件の基準に牴触するものであるとして、申請人が被申請人より解雇の意思表示を受けた昭和三三年九月一日当時において申請人は既に見習期間を終えていたことを前提として、被申請人の申請人に対する解雇の意思表示を無効であるという申請人の主張もまた理由がないものといわなければならない。

(三)  このようにして、被申請人の申請人に対する解雇の意思表示が無効であるという申請人の主張は、全部排斥を免れない。

三  そうだとすれば、本件仮処分申請についてはその被保全権利について疎明がないのみならず、保証を立てさせることによつて本件のような仮処分を命ずることも相当でないと考えるので、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一九部

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

裁判官 駒田駿太郎

裁判官 北 川 弘 治

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